ミニレポ

裏見の滝、明治35年災害で落口は決壊し滝が後退してしまったため裏側の遊歩道は通れなくなってしまいました。こちらはそれ以前の写真です。

右横に傘を差している人が見えます



荒沢の慈眼滝、現在は1本の流れしかありませんが、白糸の滝のようなすばらしい流れだったのですね。落口で休息している人生の大先輩がいらっしゃいますが撮影用のポーズでしょうか。着物姿に温かみのあるのどかさを感じます。



霧降の滝 画像には写っていませんが右側に休憩小屋があったようです。



湯滝と竜頭の滝



般若滝

今はイロハ坂からの遠望になりますが昔は遊歩道があったようです。




さて各写真にはスローシャッター撮影という共通点があります。慈眼滝や霧降の滝ような流れならともかく何故このように個性のない撮り方をしたのでしょうか?
答えはお解かりかと思いますが。ここの画像はすべて写真黎明期の銀板やガラス乾板で感光が非常に悪く日中でも数秒シャッターを開かなければならなかったためです。雫が飛び散るような画像は夢の夢だったわけですね。

撮影者自身の書簡にはそのジレンマを記した部分がありました。感性豊かな古人は現代人よりはるかに自然の滝を愛しその個性を引き出そうと努力しましたが、それが実現できたのはカメラの性能が向上したずっと後のことでした。

左は華厳の滝
岸壁に白ネクタイが掛けられているようで流れの迫力が伝わりませんね。撮影者はさぞ悔しい思いをしたことでしょう。

右は現在のエンジェルの滝(私はこの画像を見るたびに赤城不動大滝がオーバーラップします)
シャッター速度を適切にあわせれば流れが生き生きとし壮大な迫力が生まれます。